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人づくり、地域づくり…ひとすじ35年!~“仲間”がいるからこそ-琴弾山町内会会長・田中 卓眞(たなか たくま)さん


 田中さんは、70歳、地域でいろいろな活動をされています。田中さんをズバリひとことで紹介すると「あの人ならやってくれる!」と周りから常に頼りにされる信頼感と期待感が並みはずれて大きい人・・それが田中さんです。周りの方が田中さんをほっとかない、頼りにする・・それは、これまで長い間、頼まれごとを誠実に実行する田中さんの姿勢や人柄が、周りから尊敬され慕われているからだと思います。

 現在、田中さんは、石田大山町の琴弾山町内会の会長です。3年前に町内会長になりました。地域に住まれている方が高齢化していく中で、次世代への橋渡しを明確に意識して会長になられたそうです。ルールを制定するなど集会所の使い方の見直しを行い、誰でもできるように「引き継ぐことができる町内会」にしていくのが、自分の役割、務めだと考えています。3年前、これまで行われていなかった町内の夏祭りを開催し、また定期的に住民の方が憩える場として、今年に入ってから集会所で「ふれあい喫茶」を始めました。毎月、コーヒなどを飲みながらおしゃべりをしたり、カラオケをして楽しんでいます。集会所が町内において中心になるべき場所であり、憩いの場をつくることによって、住民が愛着をもつようなものになればと田中さんは思っています。

 田中さんは、愛媛県の八幡浜市で生まれ、高校までを過ごしました。その後、京都に住まれたそうです。そして、石田大山町には、40年前に移って来られました。その後、地域で少年補導委員(山科少年補導委員会 村井信夫会長)になりました。少年補導委員になられて35年になるそうです。現在も青少年の健全育成(青少年が地域や大人といい関係を作っていく活動)を目標に委員の活動を行っています。

 田中さんのお話で印象に残ったのは、地域で子どもたちと接していて感じた具体的なエピソードです。たとえば、地域で春に小学生を日野野外活動施設に引率された時のこと・・

以下、田中さんのお話です。

「中学生に声をかけて小学生と一緒に活動するんですが、子どもたちは実に嬉しそうなんですよ。全力で走りまわるんです。思いっきり体をぶつけあうんですよ。これは、大人ではできないですね。子ども同士だからできるんです。」

「中学生は多感な時期で、人生においては最も大事な時期かもしれないですね。でも世間と接する機会がほとんどないんです。中学校という限られた社会で生活してるんですね。もっと、社会人と接する機会を増やさないといけないと思いますよ。」

「“あこがれ”から子どもたちはいい方向に向かっていくんです。大学生でもいいのですが、

中学生に小学生のめんどうを見てもらう存在になってほしいと思いますね。子どもたちに“いい思い出”を残してもらうことが大事です。中学生に活動のリーダーになってもらって、保護するような立場や見方になることが大事ですね。」

「中学校で経験したことは大人になっても生きてくる・・そういう人が地域に出てくるんですね。」

 いずれも、今の教育で何が大切であるのかを改めて考えさせられるお話でした。

 田中さんは、今、第二の人生(セカンドライフ)を歩んでいます。京都に来られて大手通信会社の下請け会社で勤めた後、43歳の時に滋賀県で電話、インタホーン設置工事を行う会社を始めました。23年間会社経営を行いながら、営業ひとすじに頑張っておられたのですが、持病が悪化し、65歳の3月に会社をたたむことになりました。しかし、田中さんは、「会社をやめる(たたむ)前に、これからやることを決めてからやめようと思った」そうです。65歳の1月に「京都シニア大学」(45年前に開講した生涯学習の場。55歳以上の方が入学し、約190名が学んでいる。)に入学しようと決めました。「もっと積極的に人と関わり、楽しくやっていこう!」と思ったからです。小学校の時に絵を描くことが好きだった田中さんは、絵画部があるということで、さっそく入部しました。また、そして数か月後、小学校の時にカメラを持っていて、興味があったので、カメラ部にも足を運んだところ、部の先輩にひきずりこまれる?ようにカメラ部にも入部してしまった?そうです。

 そして、4年たった今年の2月に大学内で「学生新聞をつくろう!」という話が出て、6月に学生新聞「カレッジライフ」を創刊しました。田中さんは、編集長として紙面づくりに関わりました。

「自分を変えたいという気持ちで、第二の人生を歩んでいる人、送っている人が、大学内でのちょっとしたことがきっかけとなってやめていく人がいるのは残念だと思ったんですね。大学内のコミュニケーションをよくするために、新聞をつくることになったんですよ。」

「“仲間づくり”ですね。先輩方と新しく入学された方との“間(ま)を埋める”役割が私にあると思いました。」

 町内会長や少年補導委員そして学生新聞編集長を同時にこなし、八面六臂の活躍をされている田中さんですが、最後に意外なことそしてそれこそが「田中さんの原点」というお話をお聞きすることになりました。

「人とのコミュニケーションって大事ですね。雑談、おしゃべりが、最大のコミュニケーションで、お互いを理解しうるものなんです。そしてその雑談の中にこそ、実はいろいろな情報がつまっていますね。私はそれが昔できなかった。仕事としての話のやりとりだけだったんです。友達をつくることは苦手だった。だから、今は、その反省にたって、意識して行ってますね。」

「自分自身を奮いたたせて外に出ていくという姿勢を保っていかないと、自分の殻に閉じこもってしまうのではないかという不安感のようなものがあるんです。元来は、引っ込み思案なんですよ。」

「第二の人生では、自分が変わって、飛び込んで行って、恥をかいて、人に尽くすということを意識的にやってますね。」

「頼まれたら、断らない、基本、引き受けるということでやっています。」

 35年間、少年補導委員をやっておられる田中さん、この活動で培ってきた経験や「人とのつながり」すべてが、大きな財産だと言います。

「仲間がいるからこそできる!」

 田中さんが繰り返しお話しされていた言葉です。

自分の“役割”を明確に意識して、率先して行動するその姿勢が、仲間の信頼を集め、仲間の助け合いや協力が生まれる…。この正のスパイラル、循環が、そこに暮らす人々の生活を豊かにしていると実感しました(取材・文責:ひでひで)。


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