top of page

地域とともに歩む京料理のお店~大切に受け継いでいる“こころ”~鳥羽甚 伊藤 由里さん、保夫さん夫妻



鳥羽甚は奈良街道沿いにある醍醐寺御用達の創業127年の歴史ある京料理店です。醍醐寺から街道を南にしばらく歩くと、静かに佇む平屋建ての築100年の古い木造の店舗そして外壁に掲げられた「鳥羽甚」の看板が目にとまります。店舗の南には腹帯地蔵で有名な善願寺があり、東に望む雄大な醍醐山の山並みと相まって店舗周辺は独特な風情ある街道の景観を形づくっています。


鳥羽甚は店舗において会席料理、精進料理、各種お弁当などを提供し、また家庭に料理を届ける仕出しを行っています。常に新鮮な材料で素材の味を生かした料理を提供し一品一品を顧客の用途に合せ、献立を立てるために前日までに予約が必要となっています。


現在、鳥羽甚の代表(女将)の伊藤由里さんは4代目です。16年前の2004年に保夫さんと結婚して先代の父の家業を受け継ぎました。その後、2013年に和食がユネスコ無形文化遺産に登録され、自然を尊び四季の移ろいを表現している京料理に世界的な注目が集まりました。


戦後の高度成長時代を経て、日本社会は、バブル経済からその崩壊そして阪神淡路大震災、東日本大震災という二つの大きな震災を経験し、そして今回のコロナ禍というように社会経済状況は大きく変化しました。


社会経済状況の変化とともに日本人の生活や文化が大きく変わっていく中で、鳥羽甚がどのようなものを大切にしてきたのかを中心に伊藤由里さん、保夫さん夫妻にお話をお聞きしました。鳥羽甚のこれまでの歩みや地域のことについても織り交ぜながらご紹介したいと思います。


鳥羽甚の歩み

鳥羽甚は今から127年前、由里さんの曽祖父の伊藤甚三郎さんが、明治中期に創業しました。最初は鳥羽で料理の御用聞きのようなことをされていたそうです。その後、甚三郎さんは店舗を現在の醍醐に構え店名を「鳥羽甚」としました。


後を継いだ2代目の祖父の光三郎さんは昭和初期に車で旧山科駅までお客さんを送迎していたそうです。光三郎さんは病弱で、由里さんの父の保さんが高校生の時に亡くなりました。保さんは若くして3代目として家業を受け継ぎました。昭和40年代、高度成長時代の真っただ中、ちょうど外環状線ができた頃です。醍醐地域においては住宅建設が盛んで、人口が急速に増えていきました。その後、3代目保さんの長女として由里さんが生まれました。


忙しい家業を手伝う

由里さんは三人姉妹の長女として、小さい時から父の保さんに厳しく育てられました。

「父は次女、三女と下にいくほどやさしかったんですが、長女の私にはとても厳しかったですね。」と由里さん。

由里さんは高校卒業後2年間家業を手伝いました。その後、外で6年ほど仕事をした後、心を決めて家業に戻りました。


由里さんが2年間家業を手伝っていた頃、バブル経済が崩壊し、日本経済は低迷の時代を迎えました。1994年醍醐寺が世界文化遺産に登録され、その1年後に阪神大震災が発生しました。由里さんが外で仕事をしていた頃、日本社会はさらに低迷を続けその中で1997年に念願の地下鉄東西線(二条駅~醍醐駅)が開通、パセオダイゴロー(西館)が開業しました。


家業存続の危機の中で・・・

激変する日本の社会経済状況そして醍醐地域の姿が大きく変化していく中で、長い間、店を切り盛りしてきた父の保さんが50歳を過ぎたころから体調を崩されました。鳥羽甚にとっては保さんの仕事を受け継ぐ4代目の板前を探すことが急務になりました。


数年間、板前を探した結果、保さんの仕事仲間の紹介で保夫さんと出会いました。保夫さんは新潟県の小千谷の出身で高校を卒業した後、食と言えば「食いだおれ」大阪をめざして大阪の調理学校で学びました。その後、南禅寺の「菊水」や貴船の「ふじや」などで修業を行ってきました。


2004年の9月29日に二人は醍醐寺の三宝院で結婚式を挙げました。麻生文雄座主(先代)が媒酌の戒師を務め、醍醐水で誓いの盃を交換したそうです。


鳥羽甚に料理のできる保夫さんという跡取りが出来て、新しい4代目の鳥羽甚がスタートしました。由里さん31歳、保夫さん39歳の時です。


鳥羽甚が大切にしていること

2004年に4代目の板前として鳥羽甚に入られた保夫さんですが、その後の社会の大きな変化を次のように話します。


「戦後、家族のかたちが大きく変わってしまいましたね。祖父母と一緒に暮らしているところはほどんどなくなりました。今は核家族がほとんどです。その中で食事そのものも家族で一緒に食べるということがほとんどなくなってますね。」


由里さんは次のように話します。


「私は古いタイプの人間だと思います。父に同行したり、よく一人でお客さまのところに料理をお届けすることもありました。集金は後日になることが多く、再びお客さまのもとを訪れるというような商売のやりかたを行っていました。効率的ではなく手間ひまかかるやり方ではありますがお客さまと数多くのやりとり、会話につながって地域のことが手にとるようにわかりましたね。」


「私は今まで培ってきた地元のお客さまとのつながりを大切にしています。特に今でも鳥羽甚をごひいきにしてくださっているご年輩の方々はずっと鳥羽甚を大切にしてくださっています。」


変わりゆく地域とともに

由里さんは地域の活動を積極的に行っています。一つは地元の和泉町の自治会長の活動であり、もう一つは醍醐消防団の団員の活動です。消防団の活動については20年前に団員になり、父の保さんにかわって活動を始めました。その後、子育てのため団員の活動は一時中断しましたが、現在は復帰して活動を行っています。


由里さんは次のように話します。


「鳥羽甚は地域密着型での商売です。自分が商売を手伝っていた若い頃から私はお客さまから本当に可愛がっていただき育てていただきました。お宅を訪問するとよくこれあげよ!!と言ってお菓子や可愛らしい物など当時まだ若かったこともあり、わが子のようにいろいろ授けてくださいました。お腹すいているように見えたのかなぁ・・・」


「自治会、地元の消防団、ママ友そして鳥羽甚の商売などを通して私は地域のあらゆるところでいろいろな人間関係をこれまで築いてこれました。私は地域の方々の家族構成や家族の一人一人のことについてよく知っている方だとは思います。しかし、今はかつて顔なじみであったお年寄りの方がさみしくも亡くなられたりして、家族構成がだんだん変わってきています。また醍醐が住宅地として発展していく過程で新しい方がどんどん醍醐に住まれるようになっています。安否確認などが昔に比べてやりにくい状況になってしまいましたね。」


由里さんは二人の小学生の娘さん(咲良ちゃんと素美礼ちゃん)と共にいきセンでダンスを習っています。保夫さんは釣りが趣味とのことで、同じく釣りが好きだった義父の保さんとよく一緒に釣りに出かけていたそうです。


「父は2年前に亡くなりました。小さい時から厳しく育てられたことが今になって役にたっており、父にはとても感謝しています。」と由里さん。そして料理づくり一筋の保夫さん・・・。


100有余年にわたって地域とともに歩んできた鳥羽甚ですが、夫妻のお話をお聞きして、地域に深く根差した京料理店鳥羽甚の歴史の重さと商売の神髄をひしひしと感じました。

 

鳥羽甚 TOBAZIN

〒601-1337

京都市伏見区醍醐槙ノ内町58

(地下鉄東西線「醍醐駅」より徒歩15分)

TEL 075-571-0009

FAX 075-571-7155

11:00~21:00 月曜日~日曜日および祝日 要予約 (不定休あり)

最新記事
bottom of page